ゲシュタルトの祈り

今朝もサムサーラブログを読んで頂き
ありがとうございます
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ドイツの精神医学者でゲシュタルト療法の創始者
フレデリック・S・パールズが書いたもので
ゲシュタルトの祈りというものがあります

ゲシュタルトの祈り
私は私のために生きる。
あなたはあなたのために生きる。
私は何もあなたの期待に応えるために、
この世に生きているわけじゃない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、
この世にいるわけじゃない。
私は私。あなたはあなた。
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、
それは素敵なことだ。
たとえ出会えなくても、
それもまた同じように素晴らしいことだ。

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本当の意味で成熟した人の「私は私」とは
たとえ周りの人が自分の思い通りに動かなくても
潔く気持ちを切り替えることができます

行動を期待する→期待通りにならない→怒り・悲しみ
というようなことがあるなら
それは自分の自主性がまだまだ確立されていないということです
まだまだ相手に依存しているということです

私は何がしたいのか?
私はどうなりたいのか?
これらを明確にしてただ取り組んでいくだけです

人間関係の悩みもいろいろあります
精神的に成熟した人同士なら
特に意識しなくてもお互い自然なかたちでうまくいくような気がします
自分が成熟することで周りに成熟した人が集まってきます

周りにいる人は自分を表す鏡ですから
周りの人をみることで自分を知ることができます

最後の一文の
『たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。』
これは出会うことにも出会わないことにも
どちらにも価値を置かないでありのままを受け入れる
パールズらしい一文で
ヨガの中庸に通ずるところがあります

以前スワミジと臼杵に向かう途中
道を間違えて遠回りをしてしまいました
その時スワミジは
「ここを通る必要があったのだろう」と言われました
スワミジはこのように受け入れるのだなと
小さなことですが印象に残っています

まずはありのままを受けいれること
ありのままを受けいれることは
成熟した人への第一歩なのかもしれません

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健康で気持ちよく 物事がスムーズにいく一日となりますように

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